平成最後の名作クッキークリッカークローンの記事、はっじまるよー。
さて、今回は解説パート…
なのでクリアしてから読んだ方がネタバレとかを踏まずにすむかもしれない。
ネタバレ大丈夫、あるいはクリアしたよ!って人は是非読んでいってほしい。
知ってると分かりやすい要素なんだけど知らないとわからないこととか。
知っていると知らないとではプレイ感覚も違うかな…と思う話とかを書いていきます。
エスという名前は実は心理学・精神分析学の用語である。
とはいえ多くの人がそれで連想するであろうS(サディスト)のことではない。
恐らくエスよりも通りがいい名前は「イド」なんだろうけど、
そもそも精神分析学とか知らねーよ!という人には通りがいいも何もあったもんじゃないだろう。
そもそも精神分析学自体、一般的には知られてないんじゃないの? と不安にもなる。
クトゥルフ神話TRPGは知っているかな?
最近のオタク教養のひとつというくらい有名になったあのゲームで、
RPGにおける神官やヒーラーのような感覚で、
「狂気」に対する回復を行う技能《精神分析》というのがあるだろう?
その精神分析の学問だ。
提唱者の「フロイト先生」の名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。
エスとは「攻撃的・本能的な自分」
エスとはドイツ語でイドを表す名前だ。つまりエスというキャラクターの名前はそのまま精神分析学におけるイドを指している。
(この表現には少し語弊がある。フロイト先生はドイツ語で本を書いたのでエスのラテン語訳あるいは英語訳がイドという順序が本来は正しい)
このイドという言葉は精神分析学において3語1セットで使われる用語だ。
「イド」「エゴ」「スーパーエゴ」の3つが1セットとして括られている。
スパーエゴという用語、僕はダサくてかっこよくないと思う。
この記事ではスパーエゴの代わりにオルタエゴのアプリ内にも出てくる「超我(ちょうが)」という日本語訳を使うことにしよう。
ラテン語・英語・日本語とばらばらだけど2文字で揃ってて綺麗だし。
「イド」「エゴ」「超我」
この3つが「あなた」という人物を形作るとフロイト先生は考えた。
雑にかみ砕くと、アレだ。
漫画とかで何かに迷って、頭の上に天使と悪魔が出てくる。
「そんな悪いことをしちゃダメよ!」
「惑わされるな!お前がやりたいようにやろうぜ!」
みたいなシーンあるでしょ。
あの時の悪魔がイドだ。天使は超我である。
こんなにかわいいエスちゃんは天使に違いないという先入観はあるかもしれないが、
エスが悪魔で、壁男が天使だ。
見た目に騙されてはいけない。
この壁が天使だ。
(本当にござるか~?)
もう少し詳しく、でも難しくない雑な感じで…という説明をすると
(本当に雑なので詳しく知りたい人はフロイト先生の本を読むとかしてほしい。僕は専門家ではない)
イドが衝動的な攻撃性。
超我は規範的な完璧主義。
エゴはそれぞれの尖った考えの調整役。
分かりやすくするために超我の「意識と無意識の横断性」とかを無視してるけど、簡単に説明するためなので許してほしい。
天使か悪魔か
つまりオルタエゴというアプリはあなたに
「天使と悪魔、どちらの言うことを聞くか」という体験をさせる。
漫画的表現になるくらい(あるいは精神分析という学問が生まれるくらい)
普遍的で誰もが経験した体験がテーマなので、オルタエゴは人気なのだろう。
ついでに精神分析とかでなくアプリのシステムの上手さで言えば、
アプリのスクショをタグ付きツイートなどでSNSに上げるカメラボタンがついてたりして自分のタイプを他人に共有できるのも流行った理由のひとつだと思う。
Twitterのような開けた場所で「君はそういうタイプなんだね!」みたいな話で盛り上がる。
それが第三者のフォロワーの目に触れて…その人がオルタエゴをはじめて…と広まっていく。
いや、これもやっぱり精神分析の話だ。
自分が何者か知ってもらいたいという欲求をうまく利用してるということなんだから。
話が脱線した。
言いたかったのは「オルタエゴとは自分の中の天使と悪魔に問いかけるアプリ」だということだ。
天使は外から来るのか中から来るのか?
さて、悪魔であるエスは天使である壁男を「うるさい奴」だと言う。
このうるさい天使はどこから来るのか?
天使というと聞こえがいいがこの不気味なキャラクターはそんなシンプルなものではないという予感がする。
僕の解釈では壁男は「親」だ。
壁男と呼ばれているが、よく見ると壁はふたつに分かれて
左が男で右は女だ。
あなたに最も近い血のつながりある男と女。
つまり両親だ。
とはいえ血のつながりはここでは関係ないし、半分ずつで1塊なので
あなたが片親に育てられたとか、祖父母に育てられたとか、施設に人が親代わりだったとかは
この際関係ない、広い意味での「両親的なもの」だ。
壁は閉じ込めるもの…? 守るもの…?
壁はまるでエスという少女を閉じ込めるかのように描かれる。
でもそれは真実か?
壁というものは閉じ込めるだけが役割ではない。外からあなたを守るものでもある。
壁は外敵からあなたを守る愛なのかもしれない。
そういう目で見て壁の台詞を振り返ると、ただウザったいと思っていた壁に違う見方ができないだろうか?
壁はあなたを守ろうとしているし尊重してくれてもいる。
壁はあなたの敵ではない。
ところで壁は境界線に立てるものだ。
この壁は境界線の内側と外側、どちらから来た壁なのだろう?
壁男もあなた
壁男を天使と悪魔の天使に例えた。
あの天使は「ルールを守るもの」であった。
では天使はどこにいるのか?
正解はあなたの頭の中だ。
漫画で頭の中の天使と悪魔が描かれるときに
天使と悪魔の顔が両方自分自身の顔になっている描写を見たことはあるかい?
そう、結局は壁もあなたの中にあるのだ。
エミュレートされた社会
あなたの中に親がいる。
親というか、ことここに至ればあなたの外部すべて。つまりは社会だ。
天使は社会的な判断を持ったあなただ。
夜中にカップ麺を食べようとして、
天使が「太るからやめましょう」と言い
悪魔は「腹が減ったから食べちゃおうぜ」と言う。
よくあるシーンだ。
この時、天使はなぜ太るのを嫌ったのか?
社会があなたをデブだと罵ることを気にするからかもしれない。
スマートな自分を見てほしいという積極的な思いかもしれない。
あなたの「太りたくないという気持ち」は世間にどう見られるかという判断の影響を受けたものである。
あなたの中に「世間の目」や「社会」がエミュレート(模倣し仮想的に再現)された結果、あなたの中に天使が生まれる。
天使=壁は境界の向こうとの関係を考えて、あなたが自分の中に建てたものだ。
法律などのルールは直接あなたの頭に規則を書き込んだりはしない。
法律やマナー、モラルについて知ったあなたが、
あなたの中に「法律やマナーを守る自分」という理想像を思い浮かべる。
そうやってあなたの心に生まれる良心のようなものが超我である。
壁もあなたの中にある
壁を壊すことをエスが選ぶと彼女もまた壊れて狂っていく。
壁もまたあなたでありエスもまたあなただからだ。
つまり「あなた」というものが
「イド」「エゴ」「超我」からなるのと同様に
「エス」「プレイヤー」「壁男」という構図がある。
さて、ここでいう「プレイヤー」とはつまり「あなた」だ。
と言うことは「エス」「イド」「エゴ」「超我」「壁男」という5つの集まりだったことになる。
オルタエゴと言うアプリの中の仮想の「イド」「超我」とあなたの中の「イド」「エゴ」「超我」だ。
あなたが例えば「エス」というキャラクターを助けたいと行動する。
これは「エス」「壁男」の対比では「エス」に寄ったものであるのは間違いない。
ところでこの「エス」を助けたいという方針はあなたの中でどうやって生まれたのだろう?
「エス」は仮想の「イド」なので当然あなたの「イド」によるもの…とは限らないのがこのゲームの真に面白いところだと思う。
あなたがエスを助けようとするとき、「エスを助ける」というプレイをSNSで示すためにエスを助けようとしている可能性がある。
対外的な目に映る自分がどうなるのか? を考えた時に、
「少女を助ける」「壁の化け物の言うことを聞く」という外見上の2つの問いでは
より「規範的」なのは大抵「少女を助ける」ことになる。
つまりあなたの「超我」により「エス」を助けることがあるのだ。
あなたは「イド」と「超我」、どちらに従って「エス」を助けたのか考えてみよう。
考えることが、このアプリの本質なのだから。
…私はどうしたのかって?
私の初回プレイはそもそもSuperEgoルート、
すなわち壁側につきエスを消すというのが僕の通った道だった。
僕は自分の思いで善をなせる善人ではなく、ルールや規範により罪科を計る人間だ。
僕の「超我」にしたがって、僕は「壁」を助けることにした。
「エス」にも助かってほしいという「イド」の囁きは確かにあったとも。
でもエスの様子がおかしくて、話しかけていない壁の声の幻聴に苛立ち、
凶暴性の片鱗を見せてたので規範側につくべきだと思った。
あなたは最初にエス(End of the Id)と壁(End of the SuperEgo)どちらのエンディングを見ただろうか?
そしてそれは自分のイドによるものか超我によるものか、
考えてみるのも面白いかもしれない。
SNSで共有する話題の1つとして、他人に自分を知ってもらう1つのきっかけにして考えてみてほしい。