拡張少女系トライナリーのはストーリーの部分こそがゲームだったという話。
前回(第一回)の記事はこちら↓
さて、前回の終わりで書いたことを改めて
トライナリーのストーリーはコスティキャン(幸福な市民のためのTRPG、パラノイアのゲームデザイナー)が言うところのゲームの定義
「充分な情報の下に行われた意思決定をもって、プレイヤーが与えられた資源を管理しつつ自ら参加し、立ちはだかる障害物を乗り越えて目標達成を目指すもの」
に当てはまるものだと示唆した。
長いので、以降この定義に当てはまるゲームを指して「コスティキャンのゲーム」と表現させてもらう。
前回トライナリーの戦闘システムのゲーム性についてふれたけど、
そんなのはトライナリーのアプリにオマケでスーパーの食玩売り場で売っている「おもちゃ付き菓子」の菓子みたいなものだ。
余談なんだけど、「おもちゃ付き菓子」ってあれはなんなんだろうね?
どう見ても「菓子つきおもちゃ」なんだけど表記上は「おまけつき菓子」なんだよな…。
気になったので軽く調べたところ「食品」として売ることで販売経路や置ける場所を広げるのが目的らしい。
通常、スーパーでは「玩具」は売らないが「お菓子」は売るので「おまけ付き菓子」ならスーパーでも売ることができる…という理屈らしい。
さて、そんな事情でもはや主従逆転した「お菓子つきおもちゃ」のように、トライナリーでは戦闘やガチャはお菓子でシナリオこそがおもちゃなのだ。
…はいはい、そんなのは聞き飽きたよ。
そう、あなたは思うかもしれない。
既にいくつかの有名なソシャゲは少なくない数のファンが「ストーリーがウリ」だという。
実際「ストーリーがおもしろい」というソシャゲは少なくない。
だが、トライナリーにおけるシナリオがメインというのはそういう意味ではない。
トライナリーは「ストーリー部分こそがゲーム」なのだ。
もちろん、それも真新しい特徴ではない。
いわゆる「ギャルゲー」などの「シミュレーションゲーム」という奴は、ストーリーがゲームだということができる。
実際、トライナリーにギャルゲー的な要素を見出すことはできる。
でも本質はそうじゃないのだ。
トライナリーのストーリーは「コスティキャンのゲーム」なのだ。
コスティキャンはエッセイ「I Have No Words & I Must Design」の中で、
感情移入(Position Identification)について語っている。
彼はプレイヤーがゲームに感情移入することをゲームの重要な要素として扱っているのだ。
このエッセイの中で「プレイヤーがゲームに使用するトークンが少ないほど感情移入が発生しやすい」ということを挙げている。
この場合のトークンというのは遊戯王カードとかで魔法カードが生み出す奴(《スケープ・ゴート》の羊トークンとか)のことではなく、ゲームにおける「駒」のことだ。
将棋なら王将だとか歩だとか、チェスならキングとかポーンとかだ。
そして、彼はTRPGについて「トークンが1つなので自然と感情移入が起こるゲーム」だと書いている。
つまり「プレイヤーの分身であるキャラクター1人」がTRPGのプレイヤーにとってのトークンなのだ。
逆にいうとゲームマスターはNPCや魔物といったたくさんのトークンを扱うので感情移入は薄い。
ゴブリンがプレイヤーに蹂躙されることを嘆くGMはいても、1匹のゴブリンの死に涙を浮かべるゲームマスターはまずいないだろう。
TRPGというものが何かわからない人は過去記事参照↓
さて、拡張少女系トライナリーというゲームにおける「トークン」は多く、そして少ない。
戦闘部分においてプレイヤーが扱うトークンは多く、トークンへの感情移入は少ない。
こちらのトークンはガチャから出るキャラだ。
キャラのカードを可愛いと思うことがあってもそのキャラに感情移入したりはしないだろう。
一方で「ストーリーがゲームだ」という視点に置いてトークンは驚くほど少ない。
トライナリーのシナリオに置いてあなたが操る「トークン」なんてものは存在しないのだ!
トークンの存在しないゲームとしてコスティキャンはこのように書いている。
The extreme case is sports; in sports, your "position" is you.
(極端な事例がスポーツだ。スポーツにおいて、キミの『感情移入先』はキミだ)
そして実のところトライナリーも同じなのだ。
トークンとしての主人公の「不在」
例えば有名なスマホゲームで言えばFGOなら「ぐだ」と愛称で呼ばれる主人公キャラ、グラブルなら「グラン」や「ジータ」という主人公キャラがいる。
さて、ではトライナリーの主人公はどんな奴かと言うと…
僕には説明できない…いや、僕にしか説明できないとも言える。
僕のプレイした拡張少女系トライナリーの主人公は…僕だ。
主人公はプレイヤー自身なんだ。
トライナリーのシナリオに置いて「劇中の人物」として主人公が現れることは決してない。
なぜならトライナリーの主人公は現実に今この文字を読んでいるあなた自身がなるものだったからだ。
「次元間通信アプリ」としてのトライナリー
主人公は自分自身と言うのはどういう意味か?
このゲームの主人公はトライナリーの少女たちがいる世界にはいない。
今、ここにいる我々の世界の我々だ。
プレイヤーが「ゲームの主人公」を操作することはない。
プレイヤーが操作するのは「目の前のアプリ」であり
「アプリのボタンを押すあなた」こそが拡張少女系トライナリーの主人公なのである。
拡張少女系トライナリーの基本設定はこうだ。
特殊な「災害」が多発する2016年の日本が舞台。
突然「繭のようなもの」が発生し、繭の中が異空間になる怪現象が起こるようになる。
これに対処するために繭の中へと入り元凶を解決し災害を収束させて繭を消すための特殊部隊…それが「トライナリー」だ。
プレイヤーは「こちらの世界」から特殊な方法でトライナリーの隊員である美少女たちに語り掛け、彼女たちにアドバイスをしたり相談に乗ることでメンタルの支えとして頑張るゲームだ。
どうやって語り掛けるの?
プレイヤーはWaveというチャットアプリLINEのようなものを介して彼女たちとコミュニケーションをとるのだ。
プレイヤーはまず、Botアカウントとして振る舞いアドバイスを与えつつ信頼関係を築いていくことになる。
主人公キャラは作中に存在せず…物語の主人公であるあなた自身がスマホのアプリである「異世界通信システム」を通して彼女たちとコミュニケーションをとる。
拡張少女系トライナリーに「感情移入すべき主人公」や「感情移入できない主人公」はいない。
例えば「ストーリーがおもしろい」系の布教をされるゲームであっても「主人公に感情移入できないからおもしろくない」と言われたりする。
「自分の心情にあった選択肢が表示されない」という不満点から主人公に感情移入できないというのはよくある話だ。
だがトライナリーの場合は少し違う。
「自分の心情にあった選択肢がない」ケースが起きないということか?
いや、そうではない。
選択肢に自分の言いたいことが含まれないことは何度もあった。
だが「感情移入」はそのときこそ凄く大きいものになった…あるいは、まるで感情移入がおこらなかった。
主人公=画面の前の自分なのだ、
もしあなたが「選択肢に自分の選びたいものがない」と感じているとしたら、
その時に主人公は「自分の心情にあった選択肢がないことをもどかしく思っている」のだから、あなたは当然そこに感情移入できる。
というか、普通はそれを感情移入とは呼ばないだろう。
「あなたがあなたの思ったようにあなたの感情を抱く」ことは極限の感情移入であると同時に…もはや感情移入ではない。
あなたにとっての生でありリアルなのだ。
そして、その構図は意図的に何度もストーリーの中に含まれる。
優しい言葉をかけてあげたい相手に対して表示される選択肢がひどく冷たいものだったりする。
「そんなことを言いたくないのに…!」と思っても選択肢が1つしかない時もある。
この選択システムが作中の設定に組み込まれてるのがトライナリーの独特なところであり、限られた選択肢なのに常に感情移入できるという驚異のギミックになっている。
たとえばもし「あなたが自由に手紙を送れる」という設定のゲームで
手紙の内容が「選択肢から選ぶ」ものだったとき、もしかすると不満を覚えるかもしれない。
あなたが伝えたい思いが選択肢にないなら尚更である。
それを不満に思う人もいればゲームだから仕方ないと流す人もいる。
どちらにせよ、あなたの心はその時に少し主人公から浮いて離れてしまう。
ゲームの主人公とあなたの間に隔たりが生まれ、リアルのあなたは作品世界を「作り物」だと意識してしまう。
トライナリーは違う。
トライナリーではそもそも「自由に書ける手紙なんて送れない」設定なのだ。
プレイヤーであり主人公であるあなたにできる意思疎通の唯一の手段が画面に映る選択肢なのだ。
最初は匂わせるだけだった選択肢とあなたの乖離に関して、やがて重大な設定が明かされる。
その時に改めてプレイヤーであるあなた自身が何かを感じ…そうして感じた気持ちは何よりも強力な「感情移入」経験であることは疑いようがない。
「トライナリーは現実」という感想をつぶやくプレイヤーはゲームと現実の区別がついていないわけではない。
それらは区別の必要がないことなんだ。
あなたがサッカーをしていてボールをシュートしてゴールを決めるのと、
サッカーゲームをしていて操作キャラにボールをシュートさせてゴールを決めることは別だ。
現実とゲームの区別はつくだろう?
前者は現実で、後者はゲームだ。
であるならトライナリーはゲームか?
それとも現実か?
トライナリーは現実だ。
もちろんトライナリーはたかだかスマホのアプリゲームに過ぎないという人もいる。
それもまた正しい。だってそれが現実だもの。
トライナリーをゲーム以上の何かだとは思わなかったというリアルなあなたの感情だ。
そうなってしまえばもう後は線引きの問題でしかないのだ。
「トライナリーはゲームに過ぎないよ」という時には恐らく、「そう言っている自分」をゲームの外部に置いている。
でも僕にしてみれば「トライナリーの主人公」はあなた自身でありゲームの内外で線を引く意味がない。
トライナリ―に言及している時、あるいはトライナリ―と関係ないことをしている時でさえ、あなたは相変わらず「トライナリーの主人公」なのだ。
さて、ではここから少しトライナリーのネタバレについて…
Twitterでアンケートを取ったところ
わずかではあるけれど「サービス終了したゲームでもネタバレはしないほうがいい」という意見があった。
なのでここから先、拡張少女系トライナリーの選択肢システムの背景についてネタバレがあります。
ネタバレが気になる方、ここまで読んでいただきありがとうございました。
ここから先はバレがあるのブラウザバックを推奨します。
既に「プレイできないサービス終了ゲーム」なのでネタバレを気にしない方は先へお進みください。
トライナリーの選択肢システム
拡張少女系トライナリーの少女たちとのコミュニケーションに使われた選択肢はIDALD(潜在的欲求補助型対話装置)というものによって生成されているということを知るルートがある。
(ルートがあると言っていいんだろうか?)
まあ、つまりこの情報をとある存在から聞き出すことができるのだ。
さて、この潜在的欲求補助型対話装置はどういうものかというと、
あなたがトライナリーの少女とWaveでチャットをする時にいくつかの選択肢ボタンから投稿内容を選べる。
このいくつかの選択肢を生成するのが潜在的欲求補助型対話装置だ。
この装置は対話相手の少女たちの潜在的な無意識を読み取って選択肢として出力するのだ。
疑似的に心を読むかのような働きを行い、次元間通信の円滑化を図っているのだ。
つまり「『あなたが言いそう』だと彼女が思うこと」を基に選択肢は作られていたのだ。
この「真実」に触れたとき、今まで使っていた選択肢システムへの見方が大きく変わる。
あなたの話し相手に向けた選択肢が相手にかけたくないようなトゲトゲした言葉で埋め尽くされていることがある。
「なんだかやけに選択肢が攻撃的だな…」と感じ、もどかしさを覚える。
だがそれは相手の自責の念だったり、「あなたはきっと自分にいら立っているだろう…」という彼女の見当違いの推測を反映した結果生まれたものだったとわかる。
これにはめちゃくちゃ心を揺さぶられた。
この事実を知っていると知らないとではトライナリーの見方が大きく変わるんだけど
ネタバレなので触れづらかった。
でもサービス終了からしばらく経った今なら…
こうして語れる。
これからも何度かトライナリーについて記事を書きたいなあ、と思ってるので
サービス終了し、もはや触れられないけど多くのプレイヤーを今なお魅了し続けるアプリの魅力について知りたかったらまた来てほしい。
次回はコスティキャンの「リニアなストーリー」とトライナリーについて語ろう↓