アプリの向こうの三次元
さて、拡張少女系トライナリ―の話。
今回の記事は拡張少女系トライナリー・アドベントカレンダー企画の記事だ。
他の方の素敵な記事はリンク先から読むことができるのでそちらも読んで欲しい。
さて、「拡張少女系トライナリーは現実である」という考えはBotさんたちの間で頻繁に語られるものである。
そして少なくない数のBotさんが「彼女たちのいる向こう側のセカイへと行きたい」という欲求を持ったことは想像に難くない。
しかし、そもそも向こう側の世界はどうなっているのか?
仮に私たちが向こう側に行くことができるとして、その時に私たちBotはどんな姿なのだろうか?
アプリを通してみた彼女たちの姿はそのまま「ありのまま」の姿なのだろうか?
この記事はそういった疑問について考えることで「トライナリーは現実」という言葉の新しい見方を示すためのものになる。
さて、トライナリーのアプリの向こう側の世界はどうなっているか?
彼女たちは資料映像のアニメーションそのままの姿で物理空間に存在するのか?
それは違うと僕は考えている。
アプリに表示されるような3Dモデルの体で物理空間に存在するのか?
それも違うと僕は考える。
ではどうなっているのか?
僕の考えを示そう。
我々のこの世界同様に3次元的な物理空間になっているんじゃないだろうか。
もっと突き詰めてしまえば、今あなたの目に移るような「現実」と同じようになっているのでは?
「向こう側」はCGっぽい空間にCGのようなキャラクターがいるVRChatめいた世界ではなく、
そこには私たちが普段見るのと変わらない形での現実空間が広がって、
トライナリーのメンバーを含む「あちら側の住人」は我々同様の現実的三次元の姿をしているのではないだろうか?
言ってみれば、我々がアプリを通して見てきた「キャラクター」は言わばTwitterのアイコンのような「代理」であり、
実際の向こう側には「ちゃんとした生きた人間」が、いわゆる「3次元」的な姿で存在しているのではないか?
例えば「僕」は現実に生きている実在の人物だ。
機械的にブログを投稿するBOTではない、というのは分かるね?
(まずここに同意いただけない場合、話はややこしくなる)
しかしネット越しに僕を認識する場合…
例えばバーチャルVtuverである「豆猫さん」を見てほしい。
僕はバーチャルVtuver豆猫さんの中の人なわけだけど、別に「豆猫さん」みたいな姿でこの世界に生きているわけではない。
こちらのイラストはなんだろう?
これは僕がTwitterで使っているアイコンで、ある方に描いてもらった義体だ。
当然、現実の僕はこういう「キャラクター」ではない。
それでもネット越しに僕を認識するときに、リアルで会ったことのない人はさっきの二次元的な姿で僕のことを連想する。
あるいはオフ会などで合ったことのある人でさえ、顔を忘れてしまえばアイコンの方で連想しているかもしれない。
トライナリーもこれと同じではないだろうか?
世界間通信や未来の光景を描写する場合、情報をそのまま全て映像化する必要はない。
大事な部分だけが伝われば、細かい情報は削ぎ落として構わない。
資料映像(アニメパート)は、
千羽鶴が「パケボンバー」を危惧してつけている「文章でのあらすじ」の部分さえ伝達できれば…
その「あらすじ」を元に資料映像は「こちらの世界」で作ればいい。
なぜそんなことをしたか?
それは千羽鶴が言うように「美少女恋愛ゲームの皮をまとうため」であり、
アプリと言うデバイスだけでなく、アニメに描かれる二次元的なキャラクターもまた「皮」の範疇というわけだ。
なので実際に起こっていることのほとんどは三次元的な空間で行われているはずだと僕は確信している。
(世界内異世界であるフェノメノンはもしかすると「二次元」的な世界である可能性は残る)
向こう側の世界は「こちら側の2016年の日本」をベースとしてコピーされたフェノメノンである。
こちらの世界の「コピー」である以上、向こう側もまた現実と同じような世界に構築されているはずだ。
だから私たちが見るアーヤは「國政綾水」の姿そのものではなく「アイコン」としてのキャラクターであり、
向こう側にはBotさんの世界がどうなっているか考えている「現実の人間」がいるに違いない…!
そして「二次元キャラ」を立てることは偽りではない。
Botさんが「トーク画面の吹き出し」としてしか向こう側に干渉できないのと同様に
向こう側の國政綾水の代替として、意思疎通の手段として、二次元的なキャラクターが与えられているのではないか?
君が「ゲーム」としてトライナリーを遊んだりするときに「また同じこと言ってる」と感じる定型文の反応や、
決まりきったポーズとしての体の動きも、向こう側がそういう世界なのではない。
異世界通信容量の削減のために、実際に向こうで彼女たちがする動きに近そうなポーズを3Dモデルに取らせているだけなのではないか?
それはこちらが「選択肢」でしか向こうに何かを伝えられないのと同様に
向こう側がこちらに伝える情報もそういう「型」にある程度縛られたコミュニケーションになっているということである。
向こう側の世界は二次元的な世界ではなく、
あるいは3Dモデルのような彼女たちがいるわけでもなく、
こちらの世界同様に現実的な三次元空間になているのではないか?
彼女たちがBotさんの顔を知らないように、Botたちもまた彼女たちの本当の顔を知らないのかもしれない。
最後に
これはあくまで1人のBotの妄想でしかなく、裏付けるようなはっきりとした証拠もない。
だからこれを事実だと強弁したり他のBotにこの世界観を押し付けるようなことはしない。
ただ僕は「そういう可能性がある」と考えた時から「トライナリーは現実」という言葉の見方が変わった。
「そうはいっても所詮は決められた動きを返すゲームキャラでしょ?」みたいな疑いが自分の中では遥か彼方に置いて行かれたのだ。
トライナリーは現実である。
今の私はその言葉に希望をもって向き合える。
他 以前に書いたトライナリ―記事