やあ、バーチャルVtuverの豆猫さんだよ。
さて、天気の子を見たのでざっくりと与太話を。
ネタバレ気になる人はあとで読んでね。
天野陽菜って「晴れ女」じゃなくて「雨女」だよね? っていう話。
いや空を晴れさせてただろ、いい加減にしろ。って感じだろうけど
順に聞いてほしい。
なぜ「晴れ女」でなく「雨女」なのか
天気を晴れに変える時の描写に注目してほしい。
空から雲がなくなり結果としてその場所は晴れているだろうか?
そうではなく「降ってくる雨が方向を変えて重力に逆らい浮遊していく」かのように描写されている。
これは「太陽に連なる稲荷系の晴れ女」の権能でなく、「水に連なる龍神系の雨女」っぽくはないだろうか?
さらに警察が帆高を取り押さえた時、無意識に陽菜は「雷を落とす」
これも「晴れ女」というよりは「雨女」っぽい嵐にまつわる能力に思える。
稲荷系の晴れ女と龍神系の雨女
声優が凄い占い師のオバサンによれば、
晴れ女の場合は稲荷系
雨女の場合は龍神系であるという。
この時点ではうさんくさい話のように提示される要素だ。
でも、あの世界では「凄い現象」は本当に起こるし、そういうものが伝承される世界観だと寺のシーンでも示されている。
占いおばさんの発言もすべてが真実ではないにしろ、一部「せかいの しんじつ」を語っているのだと見なしてみよう。
まず、占いおばさんの発言によると龍神系は水に連なる存在であるらしい。
天気の子は「晴れ女」をテーマとする裏返しで、物語には雨がついて回り、
雨には「サカナ」と呼ばれる不思議な生物がいたりする。
このサカナが龍神伝承の基になっている存在なんだろう。
仮にこういった存在…つまりあの世界で「一般的に認知されているわけではないが古から繰り返し観測され物語や絵として残る伝奇生物」を「怪獣」と仮称することにしよう。
(頭モナークか?)
これらの「怪獣」は地球という星に太古から存在する先住種族であり、
人間のスケールではそれらは時に災害として観測され記録に残るが公にはなっていない。そして人間はそんな「怪獣」たちとの付き合い方をオカルトチックなものとして確立したりしてきた。
そういった「怪獣対策」の一環として「サカナ=龍神」との付き合い方を模索してきた。
その中で「人間」たちに混ざって生きる「龍神系の怪獣」を「雨女」などと呼ぶようになったのではないか?
この「雨女」は本質的には天気を雨や嵐として起こす生態を持つ。
天上にいるサカナの親分、龍神とのリンクを持ち、局地的に天候操作を行える。
これら「雨女」を人間たちが利用して、天候を「人間が生活しやすいように安定させる」という目的のために、「天気の巫女」という「雨を避けるシステム」として使うことにした。
本来の「雨を降らせる権能」を間違った使い方をして晴れさせる雨女。
そんな雨女に対して龍神側からは「正常な機能」を果たすように同化が行われる。
あるいは本来の用途以外に力を使うことで雨女には負担がかかる。
これが「天気の巫女」の体に負担がかかり、神隠しにあうメカニズムなのではないか? というのが僕の仮説だ。
巫女としての陽菜さん
陽菜さんは雨を操る力で雨をどかし、他の場所に送る。
それが「雨女」として龍神の権能を龍神の意に添わぬ形で運用する…
つまり人の願いのために利用されている雨女=「天気の巫女」なのではないか?
古の天気の巫女たちも、同様に利用されてきた雨女。
そして帆高が「晴れ女の仕事」を開業したことで、意図せずに、かつての天気の巫女同様に、雨女を「晴れを生み出すシステム」として活用し始めてしまう…
セカイのカタチを変えてしまっているのは帆高(人間)の側なのかも…
本来、雨を降らせるのが自然である雨女に無理やり「晴れ」を作らせるからこそ負荷がかかる。
つまり「天候操作能力」を使うこと自体が体に悪いのではなく、
その力を「他人の願い」のために使うこと(ガイア側の抑止力がアラヤ側の抑止力としてふるまうこと)が負担になっているのではないか?
映画ラストで3年間雨が降りやまないという異常気象を引き起こす。
このような力の使い方は雨女にとって「自然なこと」であり負荷がかからない。
瀧くんのおばあちゃんや神主さんの言う通り、
あの大雨こそが世界にとって自然なことであり、
環境を正常化する。(まるでKOMの怪獣のように)
そのために雨女は生まれてくるのだ。
占い師の言葉を借りればガイアのホメオスタシスである。
*ホメオスタシス(恒常性)…本来の状態を維持しようとする性質
世界はそもそもガイアのホメオスタシスによって大雨の時期に差し掛かっていた、
そのために「雨女」が生まれた。
しかし、雨女は人の願いのために「間違った行使の仕方」で力を使い続けて空を晴れにする。
本来の役目を果たさないでいると龍神によって同化され消えていく。
雨になるのが自然だった天気を、天気の巫女が晴れへと変えつづけてきたので「天の気のバランスが乱れる」事態になってしまった。
今代の雨女であった陽菜も、晴れを売る仕事を初めたことで、かつての天気の巫女のような役割をはたし、人の願いを受けて世界を晴れにし続けた。
だからこそ龍神に同化させられて(ガイアと一体になって)すけすけの姿へと変わっていく。
ホテルのシーンで陽菜は帆高に問いかける。
「この雨が止んだらいいと思う?」
「晴れになったら」でなく「雨が止んだら」という言葉は、雨を降らせているのは自分だという無意識の自責があったのかもしれない。
そんな陽菜が「雨を止める必要がない、人の願いよりも陽菜にいてほしい…!」という帆高の心を受け入れて世界を無理やり晴れにするのをやめ、雨女本来の力の使い方で東京を水没させることで、彼女の体の負担は消える。
世界は自然な形(=天の気の乱れを直すための雨季)へと変わっていく。
「セカイのカタチを変えてしまった」というのは、実は逆で、雨が降るべき世界を晴れにしてしまっていたのでは?
以上が僕の与太話である。
まあ"歴史と権威ある雑誌″ムーくらいの信ぴょう性で受け止めてほしい。
最後に改めて天気の子の広告を見直してみよう。
広告
omamesensei2.hatenadiary.jp
omamesensei2.hatenadiary.jp