帰ってきた草野原々
「あの草野原々」が帰ってくる。
帰ってくるも何も別に草野先生は筆を置かれた引退作家というわけではない。
普通に現役のSF作家なので「帰ってくる」などという表現は間違いもいいところなのであるが、しかし敢えて「帰ってくる」という言い回しを使わせてもらおう。
さて、今日は何の話なのかと言えば「大進化どうぶつデスゲーム2」がいよいよ発売されたという話だ。
これだけでは何が何だかさっぱりだと思うので、もう少し説明しよう。
『大進化どうぶつデスゲーム2(仮)』は草野原々の小説、『大進化どうぶつデスゲーム』の続編にあたる小説の仮タイトルだ。
『大進化どうぶつデスゲーム』(以下『どうデス』と略す)は単体で面白く引き込まれる小説であり、僕はこの作品で草野原々のファンになった。
(ちなみに初めて読んだのは『どうデス』ではなく『幽世知能』)
草野原々という作家を強く意識せずに読んだ時には非常におもしろい作品であった『どうデス』。
しかし、他の草野原々作品をいくつか読んだ今、
改めて『どうデス』の感想を書くなら「物足りない」というところに落ち着く。
確かに『面白い百合SF作品』ではあるのだが…。
草野原々という作家を知って過去の作品を読み、圧倒的な世界を感じてしまった後で読むには少しばかり『どうデス』は物足りないのだ。
百合SF作品として見た時に百合に比重が傾いている。
それはそれでいいことだ。 しかし、何かが物足りない。
草野原々という豚骨ラーメンが売りの店で「本日のラーメン」を注文したらあっさり醤油ラーメンが出てきたみたいな感じだ。
これは確かにおいしい醤油ラーメンだし、ラーメンである以上なにも問題はないんだけど…。違う、もっとコッテリしたものを期待していたんだ。
『どうデス』は草野氏の得意ジャンルである「百合」「SF」「ワイドスクリーンバロック」のうち百合にステータス振りをした作品だと言える。
その結果、「草野原々と言えばワイドスクリーン百合バロックでしょ!」みたいな考えで『どうデス』を読むと、ワイドスクリーンバロック成分が薄いせいで『どうデス』の面白さが損なわれてしまう。
だがしかし、『大進化どうぶつデスゲーム』は1巻目に過ぎない。
ラストの終わりは「まあ、ここで終わってもそれはそれでアリだよね」くらいの範囲に納めつつも「続きがある」ということをはっきりと感じさせる終わりであった。
もし『どうデス』の人気が出なかった時はここで切って単発の作品と言うことにして、
人気が出れば「シリーズもの」として続刊を出させてやろう…的な出版社の意図もあるんだろうなあ…という一読者としての邪推もしてしまう。
(実際の内情はどうもそれどころではなさそうだけれど…)
さて、結論から言えば『どうデス』は無事続刊が出た。
そしてツイッターなどでその片鱗が開示される様子を見て私は確信した。
『大進化どうぶつデスゲーム2』はきっと圧倒的な『草野原々のワイドスクリーンバロック』になっているんだろう…!と。
そもそもワイドスクリーンバロックって?
ワイドスクリーンバロックとはSFのジャンルの1つである。
あんまり定義論とかについて切り込むと危ないイメージがあるのここでは一旦、作者である草野原々がどう捉えているかを引いてこよう。
草野原々のインタビュー記事を読んでみよう。
──今後書いていきたいSFのジャンルは何がありますか?
草野 ワイドスクリーン・バロック(すごい規模が大きくてヘンなアイディアがたくさんあるSFのこと)だ!
代表的作者としてはバリントン・J・ベイリーやアルフレッド・ベスターがいるが日本SFでこの人とまっさきに連想する作家はいない。
わたしがその位置を占めたい。
ひとまず、SFマガジンでワイドスクリーン・バロック特集が組まれるようになるのが目標だ。
現在の海外SF界ではこの言葉は使われなくなっているようだが、逆輸入させたい。
引用:宇宙災害クラスの新星爆誕。草野原々イントロダクション|Hayakawa Books & Magazines(β)
草野原々の基本スタイルはワイドスクリーン百合バロックだ。
違う作品も書くけれど、多くの読者にとって「草野原々」らしい作品といえばワイドスクリーン百合バロックだろう。
「これは○○に××を合わせた作品だ!」という布教やマーケティングの仕方は有効であることはオタク界隈ではよく知られていると思う。
草野原々のワイドスクリーン百合バロックは大抵『フューチャー・イズ・ワイルド』に百合をぶち込んだものになっている。
は?
もう一度書く『フューチャー・イズ・ワイルド』だ。
あの Dougal Dixon の『Future is wild』 …?
そう。そのドゥーガル・ディクソンのフューチャー・イズ・ワイルドだ。
あと『マン・アフター・マン』もか。
そんなの絶対気持ち悪い面白いじゃん!
しかし、草野作品の基本となる短編3作は全て このスタンスだった。
『エヴォリューションがーるず』
『暗黒声優』
そんな中で『大進化どうぶつデスゲーム』は少しばかり異質だった。
もう一度ラーメン屋の例えを書くよ。
草野原々という豚骨ラーメンが売りの店で「本日のラーメン」を注文したらあっさり醤油ラーメンが出てきた。
これは確かにおいしい醤油ラーメンだし、ラーメンである以上なにも問題はないんだけど。
それでも僕は豚骨ラーメンを期待していたんだ。
そんな店で『大進化どうぶつデスゲーム』の続編が出た。
僕は最初、それは醤油ラーメンにネギを盛ったりしたのが出てくるんだろうと思った。
しかし、担当編集が連日ツイッターで悲鳴をあげている。
様子がおかしい。
そう、草野原々は帰ってきた。
コッテリギトギトのインパクトのあるやつをひっさげて。
ああ。これが草野原々だ。
我々の知る草野原々だ!
1冊目『大進化どうぶつデスゲーム』は跳躍の前のために過ぎなかった!
彼はここで脂ぎった逸品をお出ししてきた。 すごい!
でもさあ、これは豚骨ラーメンなのか?
もっと何か別の何かを煮込んだものなんじゃないか?
例えば人間の骨みたいな…。
そう、豚骨ラーメンが帰ってきたのではなくもっとやばい物ができあがっていた。
百合SF作家 宮澤伊織と担当編集 溝口力丸の人骨ラーメンだ!
草野原々は帰ってきた。
しかし、日本全国ラーメン修行の旅から戻った彼のラーメンは確かにファンが望んでいた味であった一方で後味のテイストが全然違う仕上がりになっていた。
豚骨ラーメンでお腹を満たし家までゆっくり歩いて帰るときの充実感や心地よさではなく、
「一体、さっき食べたあの味は…?」
「厨房から一瞬見えた鍋で人間がゆでられていたのは目の錯覚か…?」
そう言った不気味さに駆られて走り出すような恐怖だ。
ああ、確かに草野腹々は帰ってきた。
しかし、どこか決定的な何かを失っている気がする。
本作の結末は「大筋では」デビュー作の再演だ。
しかし、この読後感は全く別の着地だ。
Radical Weak Yuriの神髄とも言える恐ろしいまでの冷たさや寂寥感を味わうために、この冬『大進化どうぶつデスゲーム2』を読むことをおススメする。
ああ、そうだ。
タイトルを書き忘れていた。
『大進化どうぶつデスゲーム2』
その正式タイトルは…
『大絶滅恐竜タイムウォーズ』