今ではすっかり『物語シリーズの作者』として有名な西尾維新先生が、かつて書いていた未完のシリーズ。
それが『新本格魔法少女りすか』だ。
西村キヌ先生の描く、かわいくそしてかっこいいイラストのライトノベルについて今日は話させてほしい。
今でこそ世間では西尾維新=物語シリーズというイメージがすっかり根付いているけれど、僕にとって西尾維新と言えば『戯言シリーズ』そして『りすか』だった。
しかしシリーズ3作目となる『新本格魔法少女りすか3』以降4冊目は出ることがなく、
4冊目のタイトルは『新本格魔法少女りすか0』になる…という情報を残して、
結局、ゼロが発売することなくシリーズは凍結。
(掲載誌そのものがなくなったりとか色々トラブルがあった)
そんなことがあったのもはるか10年以上前。
途中、『悲鳴伝』から始まる伝説シリーズの帯に「魔法少女」の文字を見た時に、
「なーにが、魔法少女だ! りすかの続きを書け、りすかを!」と怒り出したファンがいたとかいないとか。
…いや、つまり私の話である。
西尾維新の既存作品と物語シーズのコラボ小説で『りすかブラッド』として本作とのコラボがあった時など、りすかは「忘れられた作品」ではなかったのだとファンは喚起した。
いよいよ。
満を持して、シリーズはリブートした。
それに合わせて文庫版も発売したので、ここぞとばかりにこの『10年以上前のラノベ』を布教しよう。
どんなジャンル?
あなたは新本格魔法少女というタイトルを聞いてどんなジャンルを思い浮かべるだろうか?
『新本格』という言葉はいわゆるミステリの作風のくくりであり、『魔法少女』と言えば 女児向けアニメのそれであろう。
いや、あるいは魔法少女と聞いて現代っ子が思い浮かべるのはどちらかと言えば『暗黒魔法少女モノ』なんじゃあないだろうか?
魔法少女とわざわざタイトルに冠する作品は、その多くが「想定される魔法少女もの」からのギャップを描くことをメインとしていることは最早『常識』となっている。
『新本格魔法少女りすか』もまた例にもれず、そう言った『暗黒魔法少女モノ』であり、よりストレートな表現をするのであれば…『ジョジョの奇妙な冒険』のような
『能力バトルもの』である。
魔法使いたちは固有の魔法をひとつ持ち。
主人公の少年と魔法使いの少女、2人が他の魔法使いと戦うバトル作品。
そこにミステリやクトゥルフっぽい要素をトッピングしたライトノベルだ。
というか既にそれすら平成の「古い価値観」であり、もはや令和の今となっては『暗黒魔法少女モノ』でさえ陳腐化している風潮さえある。
「魔法と言っても、この作品の魔法要素には実はクトゥルフ神話っていうモチーフがあってね…」みたいな話すら、もはや神秘性は零落した。
クトゥルフ神話っぽさを作中に散らす行為も既に陳腐化してしまっている。
ただ、ここまでたびたび書いてきたように『新本格魔法少女りすか』は10年以上前の作品である。
もっと言えば『魔法少女まどかマギカ』の7年以上前に書かれた小説であり、
それはつまり『暗黒魔法少女モノ』の陳腐化が起こるよりも前の本なのだ。
それ故に、魔法少女モノとしてイメージされる魔法少女と本作の魔法少女観は異なる。
現代の魔法少女テンプレート観との乖離
魔法少女という言葉をメタ的に一歩引いてタイトルに冠する作品として、
現代のテンプレートして想像するのは「変身してヤバい魔物とかと戦ったり同じような魔法少女と戦ったりする」「命がけ」「邪悪な勧誘マスコット妖精」あたりが共通認識としてパッと思い浮かぶ。
『新本格魔法少女りすか』をその視点から見返すと若干のずれを感じる。
そう言ったテンプレート化前の『暗黒魔法少女モノ』であるため「邪悪な勧誘マスコット妖精」などがいない。
「変身してヤバい魔物とかと戦ったり同じような魔法少女と戦ったりする」こともあると言えばあるものの、物語の大半は大人と戦っているシーンが思い浮かぶ。
変身もするけれど、「魔法少女コスチュームに着替える」というようなものではない。
「昔のラノベ」であるがゆえの古臭さを令和の今ではテンプレートからの逸脱として逆に斬新に感じられるものであるかもしれない。
古いから、古くなっても色あせない
さて、りすかがテンプレートから外れた『暗黒魔法少女モノ』になっているのはまさにその古さに起因している。
10年以上前に書かれた魔法少女ものだから古いのか?
そうであるとも言えるが、それだけが理由ではない。
りすかは10年以上前、その発売の時点で既に「古い魔法少女観」をベースに書かれていたからだ。
いわゆる「魔法少女」概念を語るうえで外せないのが女児向けのアニメコンテンツだ。
例えば『魔法つかいプリキュア』や『おジャ魔女どれみ』のように、女児向けのアニメで魔法を扱った作品などがゼロ年代以降の読者が連想する「魔法少女モノ」であり、
作者である西尾維新がイメージしたのも恐らくその系統であったのは間違いない。
しかし、新本格魔法少女りすかの執筆に際し編集の太田克史(現・星海社代表取締役 社長)氏がイメージしたのはより古い魔法少女もの…「魔女っこもの」の系譜であった。
『ひみつのアッコちゃん』のような古い女児向けアニメである「魔女っこもの」では魔法少女の変身に関する扱いが現代のテンプレートからは大きく外れている。
私たちの想像する「魔法少女の変身」が髪形(髪色)を変えコスチュームを変えるものであるのに対し、「魔女っ子の変身」は「子供が魔法で大人の姿に変身する」という形での変身が多い。
変身ヒーロー文脈での変身でなく、大人への成長を早回しする変身が描かれる。
りすかは変身して魔法少女コスチュームになるのでなく、魔法少女っぽいコスチュームは彼女の私服である。
(魔法使いは人間とは文化が少しずれてファッションセンスも違うのだと理由づけられる)
りすかの変身は衣裳チェンジではない。
衣装はそのままに、りすかという魔法少女はコケティッシュな大人の魔女へと変身する。
『新本格魔法少女りすか』はこの子供から大人への変身を軸に3冊分の物語を紡いできた。
早く大人になりたい少年、大人になんかなりたくない少女、超えるべき父、立ちふさがる大人・大人・青年・ロリババア…
手を変え品を変え大人との対決を繰り返し、時に対照的に子供同士の衝突も描きつつ、大人と子供の物語が進行していく。
「早く大人になりたい」
「大人になんかなりたくない」
「……なぜ、少女なの?」
長い長い休載期間にはいる直前に最後に書かれたエピソードで、子供のりすかは大人に…おっと、ネタバレはよくないな。話を戻そう。
古い魔法少女観=魔女っこ文法をベースにした作品ゆえに、新本格魔法少女りすかは昨今の魔法少女概念の陳腐化の中でも、腐りきらない斬新さを感じられる。
古い魔法少女像をネタとして扱ったからこそ、10年以上たった今でも色あせない魅力が残っているんだ。
子供と大人をめぐる『新本格魔法少女りすか』の物語は17年の時を経て動き出した。
既刊3冊が今年文庫版として装い新たに、前と同じく西村キヌ先生の美麗イラスト表紙で出版される。
https://www.amazon.co.jp/新本格魔法少女りすか-講談社文庫-西尾-維新/dp/4065186498
家にいる時間の長い今、とても古い魔法少女を描いたゆえに、古くても色あせることのない作品のリブートを追いかけてみてはいかがだろうか?
【追記】
もう持ってる本なので文庫版は買わなかったんだけど、購入者から「文庫版はイラストがない」と言う声を聞いたので、買うなら講談社文庫版でなくこちらの講談社ノベルス版をオススメします。