令和にもなって実写デビルマン研究家の初見実況がされて変なバズり方をしそうになっている有名絵本『三びきのやぎのがらがらどん』。
大人は絵本に教訓を求めがちだが、今日われわれが教訓を得るべきは『三びきのやぎのがらがらどん』自体ではなく、
『三びきのやぎのがらがらどん』を知らない人と知っている人の情報格差からくる混乱からこそ学ぶべきことがあるのではないかということである。
まず最初に前置きしておくと、
「読んでおいた方が良いですよ…三びきのやぎのがらがらどんは」
などと言っている人たちのほとんどは特にあの作品を名作絵本として支持しているわけでなく胡乱なインターネットミームに汚染されて条件反射的な行動に移っているだけなのではないか? ということをこの記事では語っていこうと思う。
三びきのやぎのがらがらどんはめちゃくちゃ知名度がある絵本である一方で、
(親自身が子どもの頃に読んで夢中になったパターンを除いて)
積極的に子供に読ませたくなるような保護者視点からの魅力にあふれた教材ではない。
アカデミックな映画よりもずっとハリウッドの爆発が凄いのを楽しむ映画のそれに近い。
そして、だからこそ子供たちはがらがらどんの物語に惹きつけられる。
そんな三びきのやぎのがらがらどんの物語を幼少期に読んだことがある人たちからすると、令和にもなってがらがらどんの物語に触れたことがない社会人はとても奇異なものとして映る。
その結果、既読者の内側からあふれてくるのが「同化欲求」だ。
がらがらどんを知らない人たちにがらがらどんを知ってほしい。
自分と同じ作品の話題で盛り上がってほしい。
いわゆるオタクによる布教はゾンビが新たなる犠牲者をゾンビに変えるかのような本能的増殖欲求によって生じる。
この同化欲求には恐らく2種類あって、
「作品が良いものであるから勧めたいパターン」
「コミュニティ拡大のために勧めるパターン」とに分かれている。
これはあくまで、私の個人的な指針ではあるが前者の布教は積極的に取り入れるべきだが、後者は非常に厄介な性質を秘めているので注意することにしている。
後者の布教は単に「同じミームで会話する人」を増やし、自身が異質でないことを確認したり、あるいはまだ読んでいない異質な他者を排斥し、自身同様に教化された信徒を得て安心したいといういささか宗教にも似た文字通りの布教活動である可能性があるからだ。
こういった布教を受け入れることは同じコミュニティに属するきっかけとなり交友の輪を広げてくれる一方で、ミームによって訓練されて「コミュニティにおける定型的な反応」をすることに縛られてしまう危険性を孕んでいる。
人気漫画に刀が出ただけでバクマンの話題で木人拳するみたいなのを指している。
こういったコミュニティ所属自体は何も悪くはないが、感想出力のアウトソーシングを招き、自己の感想を失い、大きな主流の流れに捕らわれやすくなる。
(ここでいう主流とはマジョリティではなく、所属するコミュニティでの定型的反応の事である)
自分の心から「がらがらどん鬼つえー!」という感想を出力する人は偉大だ。
だがそれを見て真似をして自分も「がらがらどん鬼つえー!」するうちに自分の純粋ながらがらどん感想を失ってはいないだろうか?
こういった大きな流れによる感想の同化に巻き込まれないように、少しでも気になったコンテンツは布教される前に自分から摂取する癖をつけるべきなのかもしれない。
初見実況者同様に、あなたにとって「がらがらどんの感想」がネットに踊らされたものでなくあなた独自のものでありますように…
Amazonで中古60円とかで売ってるから買って読むといいよ。
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