はじめに
僕はゴジラオタクではありません。
ゴジラについては詳しくありません。
しかし、日本で暮らしていてゴジラについて全く知らない男の子はいないんじゃないでしょうか?
僕もそうです。
よくいる「別にゴジラファンではないけどゴジラを知っている日本人」だ。
特にゴジラには詳しくなんてない。
放射熱線(?)を口から吐く、核兵器やら原子力やらのなんか放射能パワーで巨大化したトカゲ系の怪獣だ。
それ以外、ゴジラについては知らない。
こどもの時になにかの映画でゴジラを見たような気もするけど、本当にゴジラを見たのか怪しいしタイトルが出てこない。
もしかして子供のころにゴジラの映画を見たことすらなかったような気もする。
(調べてみた結果記憶にあった映画は『モスラ3』でした。やっぱりゴジラじゃないじゃん!)
つまり何が言いたいかと言うと、僕は「ゴジラに特別詳しくないけど、なんとなく怪獣のことは知っている程度」の日本人だということ。
知識ゼロではないけど、それはある意味で「男の子たちの共通認識」を持ってるだけ…
ゴジラ映画についてやたら詳しいとか、批評家を気取ったこともない。
ゴジラについて人並にしか知らない単なる二十代の「元・男の子」でしかない。
それでも、『 Godzilla: King of the Monsters 』は めちゃくちゃ面白かった。
素晴らしいBGM
怪獣映画のおぼろげな記憶が残っている元・男の子、「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を是非見てほしい。
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」はとにかくBGMがすごい。
BGMが凄いんだ。
予算かかってる~って感じの重厚な出だしから「聞いたことあるテーマ」が聞こえてくる…
「あー、あのゴジラ出る時の曲でしょ」くらいに「なんとなく知っている」やつだ。
シン・ゴジラの時もそうだったけど、そういう「知っている音楽」のパワーっていうのは とてつもなく強くて、
特にモスラ(はじめにでも書いたように僕が幼いころに見た数少ない怪獣映画が「モスラ3」だ)
モスラが登場する時にはあの「歌」がかかっていた。
テーマ曲が流れたときに興奮が高まり、そしてモスラの美しさの前にひれ伏すことになる。
モスラの神々しいまでの姿と「あの歌」が取り込まれたBGMで自分は幼いころに引き戻される…。
僕にはわからないだけでラドンとかキングギドラのテーマだって もしかしたら過去の怪獣映画の音楽を取り入れているのかもしれない。
とにかく曲が聞こえた時、一瞬で童心に帰る。
その時に怪獣という大きな存在の前に晒される人間のちっぽけさのようなものを感じるんだ。(ありきたりで使い古された表現)
音楽だ。
音楽のパワーが怪獣の迫力や恐ろしさや神々しさをアピールするためにあの手この手で攻めてくる。
気合を入れる掛け声や、まるで般若心経のようなフレーズが感情を昂らせる。
すごい、本当に音楽のパワーがあるんだ!
そしてそれは「既知」へのリンクでもある。
ゴジラのテーマも、モスラの歌も、祭りの掛け声も、般若心経も。
「聞いたことのあるもの」だから、それに対しての知識や経験が自分たちの中にある。
それらへの感情を引きずり出す。
だからBGMがあんなに僕らに響くんだ。
この映画にはたくさんのメッセージが含まれている。
環境がどうとかバランスがどうとか赦しだとか神だとかそういうのが…
でもそれらの中でもはっきりと主張される一番のメッセージは
監督の(そしてスタッフたちの)「自分は怪獣が好きな子供だったんだよ」ということだ。
君が怪獣に心躍らせた少年(あるいは少女)なら、KoMを見るべきだ。
複雑なテーマとかの理解とか考察は楽しみたい奴が楽しめめばいい。
ゴジラオタクたちの「このシーンのゴジラは歴代ゴジラ観に従ってみると…」なんて語りも興味深いものだ。
でも、そんな彼らほど深く考えることのない「なんとなく怪獣が好きだった」くらいの僕みたいなライトなファンにもKOMは門戸を開いている。
結構。
金ぴかで三つ首のキングギドラが敵役で、巨大な虫の怪獣モスラが味方だ。
それさえわかれば後はもう十分。鑑賞に必要な「知識」なんてものはない。
ゴジラKoMはゴジラオタクも喜ぶ映画だが、ゴジラオタクと言うほど別に興味がない
「なんとなくゴジラについて知ってる日本人」も存分に楽しめると思う。
「『Godzilla: King of the Monsters 』はゴジラオタクにとっての素晴らしい作品だ!」というのは真実の一側面に過ぎない。
ゴジラKOMは、なんとなくゴジラを知ってるだけの『かつて怪獣について聞きかじった男の子だった』ような子でも楽しめる作品だ。
「ゴジラについて詳しくなくても十分に楽しい!」
そのことを伝えておきたいんだ。
是非、劇場に足を運んでみてほしい。
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