バーチャルVtuver豆猫さんの与太話

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【 #ゆらぎの神話 】与太話 なぜパンゲオンは『無』なのか?

 

《パンゲオン/Pangaeon》についての一考察。

パンゲオンというのは恐らく音写でなく意訳された固有名詞である。

 

前置き

 

ある猫アイネマム、語りて曰く。
外世界言語の翻訳においてとられる手法は大きく3つに分類される。
音写、置換、意訳の三翻訳手法である。

それぞれについてのアイネマムの定義はこうだ。

・音写

 

主に人名や地名などの固有名詞の翻訳に用いられる。
外世界での発音を表音文字に置き換える。
聞こえる音をのみ写し取る翻訳である。

*訳注
Appleを「アポー」「アップル」などと訳すことを指す。

これに関して、やれ翻訳ではないだのと騒ぎ出す輩がいるが(意外にもこの点で騒ぐのは猫でなく竜どもである)
アイネマムによればこれは立派な翻訳行為である。
たとえば狼の王エスフェイルは闇の脚という含意のある名前ではあるが、
固有名詞として、名前として定着したそれを闇の脚というように訳すのでは「名前である」というニュアンスの欠落を招く。
この場合はやはりカタカナで「エスフェイル」と訳すのがよいだろう。
これが音写である。

 

・置換

 

こちらは動詞や形容詞あるいは一般的な名称としての固有名詞などに用いる手法である。
外世界における言葉にこちらの言葉を当てはめる。

*訳注
walkを「歩く」と訳すことを指す。

たとえばゆらぎの神話には白くてやわらかい六面体の食物が登場する。
これを『豆腐』と訳すのが置換であり、彼らがそれを呼ぶ音に合わせて『トントロポロロンズ』と訳す音写とは大きく異なる。
こちらの方がより整理された上位の体系であるかのように語る竜どももいるが(つまり先述の音写は翻訳ではないと騒ぐ竜たちのことである)
それは間違いだとアイマネムは記している。
トントロポロロンズは確かに豆腐に似ている点はあるが豆腐は木にならないなど、異なる点もある。
世界が違えば当然常識も異なる。理解しやすく置換したはずが「木になる豆腐」という情報は読み手を混乱させる。
もちろん「外世界の豆腐は木になるのだ」と説明することはできるが、それらは差異の少ないもののみに用いるべきである。
「熟したものを木から収穫しないで放置すると悪性の害獣となり畑を襲うようになる豆腐」はもはや「豆腐」に似たものではない。

逆に置換が有効な場合もある。
トントロポロロンズが悪性の害獣となった時にとる移動手段を音写すると『ロロポロンズ』となるが、
「悪性のトントロポロロンズがロロポロンズする」という翻訳は読者に何も想起させない。
移動する行為を読者に分かりやすく「歩く」と訳すのは一見真実から離れるが何も想起しないよりははるかに真実に近い。
「悪性のトントロポロロンズがロロポロンズする」を「悪性の豆腐が歩く」と置換することで、
たとえ不条理であるにしろ読者の脳裏にイメージを生み出す効果が得られる。


・意訳

 

この項にかかるアイネマムの説明をそのまま引く。

アイネマム、語り手曰く。

 

『その説明だけで紀元槍の節が1つ増える』と。

*訳注
これこそまさに意訳するべき言葉であるし置換的直訳がいるであろう文だ。
これはアイネマムが好む外世界の慣用表現であり、「そこに説明を割く場合に、本筋を見失うほど広大な語るべきことがある」という表現である。
ちょうどその意味になる置換先の言葉は日本語になく、かといって部分部分を置換したのでは結局その意図が伝わり切らない。
であれば翻訳者はこの種の文をこそ意訳するべきである。

 

 

*訳注
驚くべきことにアイネマムは意訳の項に意訳すべき例と『訳注』と原文に記すという書き方でこの項を書いていたのである。

 

 

 

さて、では本題でパンゲオンの話に入ろう


『その説明だけで紀元槍の節が1つ増える』とまでは言わないまでも、猫アイネマムの『翻訳の三手法』を説明するだけでかなりの尺を取ってしまった。
そう。これは前置きに過ぎない。

『パンゲオン』と訳される語は別の文脈では『無』と訳される。
この言葉について考えて見よう。

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パンゲオンとは音写か?

 

パンゲオンと言うのは外世界における「世界のはじまり」を語る上で出てくる生き物である。
カタカナの名前が振られているので当然それは音写なのだろう。
ミアスカ語では『無』のことをパンゲオンと発音する。
それでこの話は終わり…。

私も最初そう考えていたのだが、アイネマムの鳴き声はとても「パンゲオン」とは聞こえなかった。
私に聞こえた限りではという但し書きの上で音写するなら「ミューニャゲオン」とでもするだろう。

パンゲオンは音写ではなかったのだ。
この言葉、どちらかと言えば内世界の言葉に似ている。
パンゲア大陸という言葉を聞いたことがない人はまさかいないだろう。

パンゲアとは大地が昔1つであったとする学説に語られる超大陸である。


パンゲオンとは意訳ではないか?

 

もしかすると「ミューニャゲオン」を「パンゲオン」と訳したのは意訳なのではないか?
すなわち「ミューニャゲオン」という外世界人にとってはもはや語源はわからずただ音のみが定着した語を訳すにあたり、
内世界のラテン語のような「なんとなく現代にまでつかわれる言葉の元になるのでニュアンスはわかる」言葉を引いて当てはめることで
「固有の名前である感じ」と「なんとなく想起される意味」とを兼ねようとした初期の訳であり、
それが現在までずっと外世界のミアスカ語の日本語訳において慣例として続けられているのではないか?

 

パンゲオンとはどのような意味か?

 

ミアスカ語でミューニャゲオンといえば「無」のことである。
しかし、パンゲオンと訳される場合には「始まりの獣」とされる超獣を指す。
(現代ミアスカ語の日本語訳において文脈上、始まりの獣でない場合はそのまま『無』と訳す)

パンゲオンという「始まりの獣」にパンゲア大陸を照応しパンの音を取って『意訳』したのはまず間違いないだろう。
ギリシャ語の《パン/πᾶν》が全体を表す語であることからまず間違いない。
ミアスカ語のミューニャは『すべてのこと』であるとされるからである。
ミューニャをパンに置換して「古い言葉」のニュアンスとそれのさすものをなんとなく感じさせ、
内世界のパンゲア大陸を想起させることで、外世界のひとびとが「ミューニャゲオン」と聴いたときに想起するイメージを、
内世界の言葉に落とし込もうとしたのだろう。

 

ではなぜゲオンを意訳しなかったのか?

 

さて、ではなぜゲオンの方は音写に留めて訳さなかったのか?
恐らく「ゲオン」に相当するギリシャ語がなかったのではないだろうか。


ゲオンとは何か?

 

ミアスカ語におけるゲオンはある概念を指す言葉である。
その概念とは…「永劫未知でありつづけるもの」とでも言えばいいだろうか。
ゲオンは未知ではない。
いや、ゲオンは未知だけど未知がすべてゲオンであるわけではないとでも言えばいいのか。

既知とは我々が知っていることであり、未知とは我々がまだ知らないことである。
ミューニャはこの既知と未知を包括したあらゆる全てという考え方…であった。
しかし、それは未知には終わりがあることを意味する。
ミューニャの外側にある概念。
「未だ知らず」であると同時に「これからも知ることがない」という永劫の未知、
不可知とでもするべき外側がミューニャにはあるという考えこそゲオンの元である。

 

「知る限りすべてのもの」「未だ知らざること」「それよりも外にあるすべて」
この3つ全てを含むものこそが「はじまりの獣」であるパンゲオンである。

 




だがしかしパンゲオンは神話に置いて槍で貫かれて死ぬ。
これは何を意味しているのだろう?

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槍とはとうぜん紀元槍のことだろう。
こちらの言葉に『置換』で訳すならアカシック・レコードのような万象の知の集まりが紀元槍である。

 

パンゲオンは「知る限りすべてのもの」「未だ知らざること」「それよりも外にあるすべて」であった。
パンゲオンはすべてだったのだ。
それが「すべて」という槍で貫かれたのである。
ゲオンすらも紀に記された万象の知たる紀元槍に貫かれたパンゲオン。

A+B+C-(A+B+C)=0

 

これこそがパンゲオン/ミューニャゲオンが『無』という意味のミアスカ語になった流れなのではないだろうか?

 

ゲオンはもう存在しないのか?


パンゲオンは無になった。
それはつまりゲオンがミューニャに含まれたことを意味する。

そうであれば紀元槍に含まれないことはもはや何一つないのだろうか?

私は未だその答えを知らない。
あるいはその問いの答えこそがゲオン(それよりも外にあるすべて)なのかもしれない。

 

『紀元槍の外』についてが外世界の哲学者の挑み続ける悩みなのだ。


ある者はパンゲオンはそもそも「紀元槍」には貫かれていないという。
パンゲオンを貫いたのは「世界槍」という「1次元下の紀元槍」であり、さらにそれらを含む「1次元上の紀元槍」があるという考えを語る。

 

あるいは「槍がパンゲオンに刺さったのではなく貫いた」というところに注目して考えも者もあいる。
「貫いた」とはつまり槍の穂先はパンゲオンの外側に達しているのだから「パンゲオンの外にあるゲオン」であるというのだ。

 

ゆらぐ世界をどう解釈するかは原典の翻訳者次第である。

「ミューニャ」「ゲオン」「パンゲオン」「槍」
あなたは、これらをどう組み合わせるだろうか?